現在の弘文洞

今からおよそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流、蕪来川を川まわしして造った隧道。

弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として世に紹介されましたが、昭和54年(1979)5月24日未明、頭頂部が崩壊しました。

崩壊前の弘文洞

弘文洞近くの「中瀬キャンプ場」 養老川での釣り