弘文洞跡

更新日:2024年03月29日

山肌の見える崖と崖との間に川が流れていて奥には背の高い木が立っている様子の写真

現在の弘文洞

今からおよそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流、蕪来川を川まわしして造った隧道。

弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として世に紹介されましたが、昭和54年(1979)5月24日未明、頭頂部が崩壊しました。

山肌が削られて出来たトンネルのような穴の間と手前に川が流れていて、その川沿いに数人の人がいる様子の写真

崩壊前の弘文洞

川岸で何人かの人が釣りをしていてその後ろには隙間のないくらいの葉っぱの付いた木々が生い茂っている様子の写真

弘文洞近くの「中瀬キャンプ場」 養老川での釣り

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